自分を評価するのは自分だけでいい

こんにちは、たま子です。

子供達にとっては、そろそろ長い夏休みが始まります。

そういえば、昔は『通信簿』を貰って夏休みに入るというのが恒例だったよな〜とふと思い返していた所、たまたまこういった事を行っている学校の記事を目にしました。

それは『通知表を止めた』小学校。

通知表で子供を数値化する事に、かねてから疑問を抱いていたある校長先生が、先生たちと試行錯誤のうえ、通知表を止める事を決断した。その結果、子供も先生ものびのびイキイキと出来るようになった、というもの。

ーーーー 所々抜粋

❝校長の問題提起を受け、教員同士の議論が始まった。すると、現行の通知表に問題があると考える教員は、少なくないことが分かった。ベテランの三堀あづさ教諭もその一人。「まるで偉い人のお告げみたいに、子どもをランク付けしてしまう。有害なんです。ずっと嫌だと思っていた」❞

❝21年10月の運動会。コロナ禍で種目数を減らしたこともあり、これまで紅白対抗で点数を競っていたのをやめた。4年の担任だった山田教諭は同僚と話し、学年の団体競技「台風の目」での目標を「本番で練習よりタイムを縮める」に決めた。しかし、この日は違った。子どもたちは順位より、何秒で走り切れたかに注目していた。「5秒くらいは縮まったんじゃない?」。ワクワクとどきどきが入り交じった、そんな声が漏れていた。

 1組から順にタイムを発表。そのたびに大歓声が上がり、クラスの仲間とハイタッチしたり、「すごい!」とたたえ合ったり。5クラス全てが記録を更新していた。最下位だったクラスの子どもも「自己ベストが出たよ」と大喜びで校長室に報告に行った。山田教諭は「目指す評価はこれだ」と確信したという。❞

通知表の廃止は、教員の時間的な余裕も生んだ。通知表を付けていた時は、評価の「根拠」をまとめたり、何度もチェックを繰り返したりして、何十時間もかけていた。その時間がなくなった分、子どもたちの様子をよりきめ細かく見られるようになった。保護者との面談も充実させ、普段の子どもの姿を直接伝えるように心がけた。❞

❝通知表廃止から3回目の春。「他人と比べる」という価値観から距離を取り、評価とは何か、評価はどうあるべきかを突き詰めた2年間を経て、香川小は確かに変わり始めた。国分校長はそう感じている。❞

ーーーー ここまで

競争に関しては、時と場合によっては、悪い面だけでなくいい面も少なからずあると思いますので、一概にどうこうと判断がつきにくいものだと思いますが、少なくとも『通知表』に関しては、たま子も以前から疑問を持っていました。

歴代の先生には大変申し訳ありませんが、正直、通知表を見る度に毎度納得がいくものではありませんでしたので(笑)、ある時からはもうただハンコを押すだけのものになりましたけれどね😜

ただ、中学になると、高校受験などが関わってくるのでどうも始末が悪い。

そもそも判断する先生の素質は?判断に個人的な感情が全く入らず公平にする事は出来るのか?(ちなみに、もしたま子が先生だったら、個人的な感情抜きで公平に判断する自信は全くありませんので、偉そうな事は言えませんが…)

その点、テストの点数は平等で分かりやすい判断材料になるかもしれませんが、そもそも勉強の内容がね。。。ただ暗記するだけのテストの点数?それとも自分の考えを評価できるようなテストの点数なのか?しかしそれを正当に評価出来るのか?

とかね。

数値化って、感情ある生身の人間が下している時点で公平は無理でしょう。だからといってAIのようなもので評価されるのも何となく嫌ですが(ただのワガママ!?)

今後の世の中がどうなるかは分かりませんが、受験だったり就職がもし現状のままだった場合、どうしても指針となるものが必要な場合があるので、『評価』なる数値化されたものをなくす事は不可能だと思いますが(むしろ、これからは脱炭素の名の元に、今まで以上に理不尽な評価で管理される社会になるかもしれませんが…)

年を負うごとに思います。あーだこーだと評価する人に対して、

(他人の)おまえに(私の)何が分かる

と。(言葉悪すぎ💦)

自分で判断したらいいんです、自分の事は。


冒頭の通知表を無くした小学校の運動会の目的を

「本番で練習よりタイムを縮める」

事にした事、個人的にとても素晴らしいと思います。

クラス対抗で勝負させる事も、他人を応援する、団結を生む、など、いい面も沢山あると思いますが、もし望む結果が出なかった時に、人のせいにする、というマイナスな感情も多く生まれやすい面もあると思います。そして、上位の成績だった子供は自信を持つでしょうけれど、そうでなかった子供は自信を失ってしまう。

その点、自分のタイムを目標とした場合、他人ではなく自分との比較。例え最下位だったとしても、タイムを縮める事が出来たらそれは大きな自信に繋がりますね。仮に縮められなかった場合、何が原因だろう、と考える事が出来るかもしれない。それが成長するきっかけになるかもしれない。

他人との勝負で負けた時に、もし『相手が速かったから』と結論づけたら、全く成長は望めません。

まぁ考えは人それぞれあると思いますので、あくまでもたま子が思う事ですが、

自分の事は自分で評価しましょう

他人の勝手な評価に感情を揺さぶられる程、心と時間ともに無駄な事はありません。

子供にも、自分の事は自分で評価し、自分で自分を認められるような人になってい欲しいと、冒頭の小学校の記事を読んで、改めて思いました。

全ての人は、

『自分はよくやっている』『自分は素晴らしい存在』

例外はありません。それを自分で認めるか認めないかだけの違いです。

では、今日はこの辺で。。。

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